共感は出来なくても理解はできるし尊重できる

外国人のAさんが「これは宗教的に食べることが出来ない」と言った場合、我々はその食べものに同じような感情を持つことはできない、つまり共感できなくても、その背景と行動を理解して尊重することは出来ます。これを「なんでたべれないんだ!意味がわからん!」などと反応してしまう人もいますが、これが「共感」がすべての判断基準になってしまうタイプ。

自分の意見、感情について共感してもらえるかどうかが全て。他人の意見も共感できるかどうかが全て。脊髄反射的に反応してしまう。

子どもはこの地点からスタートします。これまでの教育現場では「共感」が重視されてきました。「みんなが〜だから。」が物事を判断する上で非常に重要な基準でした。

本当に「みんなが〜」なんてことはないのです。バックグラウンドが違う。宗教的背景も違う。哲学が違う。一体何が違うのか。それをしっかりと説明し、読み取る力を身につけることが他者との協業のスタートです。

同じ文化圏で育った人間同士で生きていきたいという欲求が強いのは、この力が足りない場合がほとんどです。