三国志の広田

前回、予告で「馬超」を紹介すると言ったのですが、調べていくうちに自分が気に入ってたエピソードは演義の方で、それなら横山三国志を読んでくださいって話になるので、マイナー路線を走っていくコンセプトに反するのではと感じます。。。
しかし馬超に関しては演義の方がいいなぁと感じてしまう部分が多々ありました。

まぁ今回は演義中心でお話します。

いきなりですが結構、波乱万丈に生きているんですよ彼。
馬騰(ばとう、馬超の父)が曹操暗殺計画に加担していた為、後に謀略によって一族のほとんど(180~200人くらいだったかと記憶してます)を曹操に謀殺されてしまうんです。
涼州に留まっていたため難を逃れた馬超は、唯一生き残った従弟の馬岱(ばたい)と共に、復讐の為に兵を起こしたとなっています。

一番の見せ場?は「鐘関の戦い」で曹操をあと一歩のところまで追い詰める所や離間の計に陥り、次々と仲間が離れていき、それでも一族を殺された恨みの為に戦い続け、敗走が続き、そのときに劉備を頼って蜀に入るという流れなんですが。

この説明だと一族殺害が前後してしまっているので、正史と演義を混ぜた話になってしまうのですが、一応はっきり区別するために言っておきます。
正史だと、漢中に進軍しようとする曹操を撃つために挙兵し、演義では一族殺害の恨みで挙兵する、となっています。

そして広田がこの戦において一番気にかかったこととして、この時代の復讐に「大義」はないのです。
しかし、自分が勝てば「大義」になるのです。

なんとも矛盾していた時代ですね…
曹操も若い時に父親を殺された復讐で宦官(曹操の上司にあたる役職)を一人殺しているのですが、曹操には智が備わっていた、そして自分の軍もあった。役職もそこそこ(と言っても彼の年齢では当時にしたらいい役職についていました)いいという立ち位置でした。
そして復讐を終えた曹操は難なく、その後のいざこざも自分の不利にならないように整理していきました。
さすがに天下を取ろうと目論むだけあって、行動力にもすばらしいものがあったんですね。
そこから、またどんどんと加速しながら自軍の力を増幅させていきました。

ちょっと脱線してしまいましたので話を戻します。

それゆえに何度も曹操に挑み続ける馬超。
しかし、中々勝てない、曹操を討てない。
ただの反乱としか世間から見られない、馬超側に「大義」はない。
たとえ、自分が正しいと思っていても…周りは認めてはくれず、家臣たちが次々と馬超から離れていくという、なんとも悲しいお話なんです。
このくだりをゲームで体験した広田は、馬超の気持ちに共感をして好きになったという流れです。
復讐に囚われ、拘り、正しき道を見失いながらも乱世をもがき生きる姿は何とも言い難い人生でありますね。
逆に言えば自分の道を信じて突き進むしかなかった。
答えはわからないままに…

なんとも切ないお話になってしまいましたね。

路線を変えて豆知識コーナー。
馬超は「錦馬超(きんばちょう)」という通り名がありました。
これも演義のみのネタなんですが、戦う姿が錦のように美しい、と名づけられたようです。
あと、五虎大将軍に選ばれていたりします。

まぁ蜀に入ってからは病気にかかり、戦に出て武功をたてたという記録が残っていません。
入っただけで、何もしていない(笑)っていうオチもしっかりあって中々侮れない武将です。
実際かなり強かった武将だと思うんですけどね、なんか、本当の馬超好きの人からしたら怒られるような書き方になってしまいましたが、好きな武将の1人なのは間違いないです、はい。