「こうしましょう」よりも「君はこういうところが良い」のほうが生徒への影響は大

野村の昔話です。小学校2年だか3年生の時通知表のコメント欄に、
「野村くんは~~~といった点は是非直してほしいですが、ものおじしない性格はとてもいいところです」と書いてもらいました。

もちろん「~~~」の直すべきところは完全に記憶にありませんし、気にもしなかったと思うのですが、この「ものおじしない」という言葉の響きになにか魅力を感じました。

早速周囲の大人に意味を聞き、なるほど、自分は「モノオジシナイ」ところがいいところかと思うようになりました。単純な野村ですので、そうすると自然にその後もできるだけものごとに臆することなく、とかく大胆に振舞うよう行動指針が出来あがります。

当時の学校の先生も実は良いところが特に見つからず、とりあえず「ものおじしない」という言葉をなんとかひねり出したのではないかという感じもしますし、「もうちょっと気を使ってね」という軽い嫌味だったのかなあともとれなくもないですが、

とある時点の何気ない評価がその後の行動指針になるという例だと思います。

我々学習指導にあたる人間や保護者は何気なく、生徒の良いところを指摘します。その何気ない指摘が実は生徒にとってずっと後まで影響することもあるというお話です。

面談シーズが一段落しそうですが、生徒の評価をするというのは実は壮大な仕事だと改めて講師一同気を引き締めたく。