受験が終わったその後は

こんにちは。竹村です。

突然ですが、ちょっと質問です。
家にいるとき、ふと使用中の家具や道具が古びてきていることに
気づいたとします。思い出してみると、それが引っ越してしまう前から
使っているもので、かれこれ10年以上愛用してきたと気がつく。
そんなとき、みなさんはどんな風に感じますか。

まだ幼い頃、ちょうどこんなことが家でおこりまして、その時の母のことば
はこんなものでした。

「これもう10年も使っているのねえ・・・。なんだか捨てがたくなってきちゃう。」
異国での苦学や友情の思い出など、胸に去来するものがあったのでしょう。

幼いながら、自分がうまれてもいなかった頃の母の青春に思いを馳せました。

それに対して、同じ環境で同じときをすごしてきたはずの父のことばは
こんなものでした。

「これもう10年もつかってるのか。じゃあ捨てるか。」

幼い心に衝撃が走りました。
確かに論理的にはとても正しいのですが…愛着とか寂しさとか…
人のこころはないのだろうかと。

幼い頃の竹村にとっては前者の考え方が自然な人情で、
後者の考え方は理解しがたいものでした。

ところが、その後時を重ねるうちに気づいたのですが、
どうも優秀な人々には後者の考えの方が多いようです。

小学校の頃から群をぬいて頭が良かった友人がいます。中学はそのまま地元
の公立に進んだのですが、その後現役の東大生として再会しました。
その友人に以前
「子どもの頃あそんだおもちゃでついつい捨てられないものってあるでしょ…」
と言いかけたら、言い終わる暇もなく
「え、そんなものないよ?」
と切り捨てられました。

また、知人に四谷大塚の週報で常に10番以内をキープし、
風邪を引いても30番を取ってしまうといった怪物がいましたが、
中学受験中の教科書やノートは合格後全て捨ててしまったそうです。

恐らく、彼ら彼女らの共通点は感情の薄さではなく、どれほど今と未来を
大事にしているか、だと思います。

思い出は確かに大事なものです。しかし、物理的にもひいては意識の上にも
自分の周りには常に限られたスペースしかありません。
そこが既にあるものでいっぱいになっていては、新しいもの-今必要なもの、
これから必要になるもの-を入れる場所がなくなってしまいます。
それでは、毎日襲い掛かる「今」この瞬間と戦うことができません。

少し気が早すぎるかも知れませんが、
皆さん受験に合格したら、これまでに使用した教科書や
ノート類はどうしますか。真摯に努力を続けてきた皆さんの
ことだから、今では結構な大きさの山が出来上がっているかと思います。
そこの山はつらい思い出、楽しかった記憶、
がんばりの記録そのものだと思います。

それでも、竹村は思い切って整理することをおすすめします。
いらないものは捨てる。まだ使うだろうものは見えるところに。
大きなスペースをとるものは写真を残すなどで我慢して圧縮する。

そして、春から始まる全く新しい中学生活に向けてスタートを切りましょう。

今まさに受験に向かって最後の最大の努力をかたむけている皆さんには
詭弁に聞こえてしまうかも知れませんが、それでもあえて言えば、
やっぱり受験は通過点です。合格後、待ち受けている三年間、あるいは六年間
こそが「本番」です。そして、そこでこれから皆さんが直面することは本当に
たくさんあります。受験の「終わり」ではなく、中学校での新しい挑戦の
「はじまり」だと思って欲しいと思います。

まだ多くの人の第一志望の結果の出ていないこの時期に、
あえて言わせていただきました。

二月一週までの残り数日です。くいの残らないよう全力でかけぬけてください!
近い未来も少し先の未来も、皆さんの上に幸運がたくさん訪れること
を祈っています。