問題と自己

こんにちは。竹村です。

昔聞いた話なのですが、犬をしかる時に名前を呼ぶのは良くないそうです。
「ポチ!やめなさい!」とか、「クロ!何してるの!?」などというと、
そのうち「自分の名前=叱る時のことば」と認識してしまって、
名前を呼んだだけでおびえるようになってしまうのだとか。
だから、名前を呼ぶときに使う言葉と怒るときをに使う言葉を意識して分離すると良いそうです。

さて、これと似ているようで実はあまり似ていないのですが、
子供に学習上の注意をする上で個人的に心がけていることがあります。
それは、「問題と個人を分離すること。」

というのは、「失敗は失敗、自分は自分」というストレス軽減の回路を生まれつき
持っている子はほとんどいないためです。

99パーセントの子は(たとえへらへら笑っていても)
「間違ってるね。きちんと理解していないよ。良くないね。」
という台詞を
「(ここが)間違ってるね。(この考え方について)きちんと理解していないよ。
(ここが分からないまま進んでしまうと後々)良くないね。」
とは聞いてくれません。
その代わり
「(君は)間違ってるね。(君は頭が悪いから)きちんと理解していないよ。
(そんな風に適当な理解で放置してしまう君の人格は)良くないね。」
と捉えます(だいぶ大げさですが)。

そうすると、無意味にネガティブになってモチベーションが落ちてしまうので、
なるべく本人と問題は関係ないよー、ということを強調するよう努めています。

かといって、注意をする前にいちいち
「良い?これから話すことはあくまでひとつの問題についてであって、
君の人格とも知性とも何の関係もないんだ。
たとえこの問題が壊滅的にひどかったとしても、それは君個人の価値をいささかも損なわない。
だから、芝刈り機の不調の原因を探るエンジニアのような目でそれを見つめるんだ。オーケイ?」
なんて、下手なアメリカ映画のワンシーンみたいなことをやるわけにもいかない
(やりたくない)ので、たいがいは「本人をほめる×2+問題を指摘する×1」というセットを
使うようにしています。

例えば、「もう終わったの?さすが。うん、よく出来てる。がんばったね。あ、でもここだけ間違ってるよ、
なんで間違ったかわかる?」と言った感じです。
なんどもやっていると、だんだんこちらの思考のパターンを分かってくれるというか、
「どうもこの人は、起きてる問題と自分は別ものだと思っているらしい。」
というのを感じてくれるようになって、いちいちほめずに指摘しても客観的にみてくれるようになってきます。

やみくもに「若者よ!失敗を恐れるな!!」などというより一歩前進したやり方なのではないか
と密かに思っているのですが…きびしくきびしくですばらしい指導をなさる先生方もいらっしゃるので、難しいところです。