とある授業にて

こんばんは。昨日今日と夜の冷え込みが厳しいですね。こんな寒さを感じると、いよいよ冬も本番。受験の足音が聞こえてくる気がします。

そんな冬の寒さも何のその。子どもたちの熱気はロジムを熱くしています。

とある授業での1シーン。「徒競走が苦手な子どもが運動会で、わざと手を大きく振ってゆっくり走っている」時の気持ちを考える問題で、意見が真っ二つに割れました。
A「どうせ一番になれないので、せめて格好だけはよく見せよう」とB「一生懸命走って負けるとみじめなので、はじめから本気でないことを示そう」という二つに分かれて議論。

「だって一番になれないって分かってるし、格好つけてと書いてあるから、Aだよ。」
「えー、でもAのせめてというのはおかしいのじゃないか。」
「Bのみじめっていうのだって、言い過ぎじゃないかな。」
「それにAは一番になれないという理由がしっかり選択肢に書いてあるし。」
「でもその文のうしろには『一応参加しているだけだという感じ』とあるよ。これは真面目にやってないってことではないかなあ。」
「でも負けてみじめだから、というのは本当にそう考えているかわからないじゃん。」
などなど、活発な議論がなされました。

争点は「負けてみじめだから」の部分で引っ掛かりがある点に絞られたわけですが、ここは実
は本文には記述はない部分。お子様自身の体験が物を言う場面ですね。

大人の我々からすると、選択肢を見ただけで答えが分かりそうな問題でも、お子様の体験の中
にないものは、判断に迷うところです。それについて疑問を投げかけ、しっかり考えて自分の意見がいえることを頼もしく思いました。

「この問題を機に、負けたときの言い訳として、本気でやらないっていう人の気持ちの動きについて知り、想像してみてください。これも貴重な『体験』ですよ。」
                                      む