私は、集中して本を読みたいとき、問題を考えたいとき、問題を作るときに電車に乗ります。
中学、高校のときは中間期末テストに向かう電車の中でしか勉強しなかったので電車で集中できる体質になっているのでしょう。
先週の金曜日、いつものように時間を気にせずに乗っていたら自宅までの電車を逃してしまい、駅の構内から外へ。偶然出口の前に本屋があったのでふらりと中へ。
小学・中学・高校の算数・数学の先生としてはかなりの人気者栗田哲也さんの著作をパラパラっと。
本人が力を込めて書いてあった最後のページの言葉が印象的かつ納得。
・数学はとても熱中して出来るようになるか、やらなくなって全く出来なくなるかのどちらかで中間はない。
・良い先生は生徒に考えさせ、悪い先生はわかりやすく教える。
・基本が大事といって基本的な問題集ばかり買い揃える人は基本すら出来るようにならない。
受験の現場にいるとつくづく「試験勉強」と「学問」とは違うと感じます。栗田さんは「中学受験がなければ、日本の小学生の洞察力と論理力はもっと高いはず」と語っていたが、トップクラスの生徒を教えている講師はみな感じていることでしょう。
この時期、保護者からの非常に多い相談は「好きな科目以外になんとか取り組ませたい」「じっくり試行錯誤したがるのだが、スピードをつけて試験に対応する力を養いたい」など、非常にもったいなく、近視眼的な話ばかり。
フェルマー予想を解いたワイルズは、「天才が育つには、品格のある国家が必要だ」と言っていましたが、やはり本当に優秀な子どもが育つには、品格のある大人に囲まれている必要があると思います。
最近、子どもたちが「試験から帰ってくると、お母さんがかばんから問題用紙を取り出して勝手に採点してるんですよ・・・。」という話をあきれた表情でしていました。子どもたちに、あきれられてるって・・・。中学受験も自己実現なのでしょうか。