提言:入試に物語文・小説文を使うのはいい加減やめませんか

先日苅野さん、向井さんと話をしていて大筋で意見が合ったのが、「物語文の読解問題いらなくないか?」というところ。

物語文・小説文の読解、これ白状しますと、ロジムを始めた時から大きな違和感を持っていました。もっと遡れば自身が高校生の時から、小説・物語の心情分析や行動理由等を試験問題にするということに納得いかない自分がいました。

どんな違和感かと言えば、登場人物の心情や、行動の理由の分析に果たして点数をつけるべきものなのか。というところです。「A君の気持ちを説明するのに、『不安』という表現が入っていないとマイナス3点」なんていう採点マニュアルのもと、「Aくんは、どうしていいかわからなかった」は減点され、「Aくんは不安であった」が満点解答。そうなんですか?と。

最近もありました。「この時の太郎君の気持ちを説明せよ」という問題に対する生徒の解答に「ここは後悔という言葉がキーワードだから、君が書いた『もう嫌だと思った』では弱いんだよね。なので1点減点。行動と結びつくキーワードは抑えなきゃ」などと、解説することに対して、とてもとてもとても大きな罪悪感に近い、違和感がありました。

また、「主人公のこの時の気持ちをア~エから選びなさい」という問題も、果たして正解というものがあるのかどうか。主人公の気持ち、正確には主人公の気持ちに近い、試験問題作成者が書いた作文を選ぶことに何の意味があるのか、やはり胸を張って生徒に説明出来ません。

実は、ロジムをはじめてちょっとしてから、まず一度大きく割り切ることにしてみました。

物語・小説の読解というのは、読者である解答者がどう読み取ったかを答えるのではなく、世間のまっとうと考えられる多数派の人々がどう考えるかを予想する行為

であり、社会に出てやっていくにはそういう「場を読む」「常識人として振る舞う」能力も大事だと思いました。
(過去ブログ参照 http://www.lojim.jp/nomura/post/57  ←野村が割り切った瞬間です )

しかし違和感はやはり大きくなる一方。

最近ではできるだけ物語文を扱う時は、問題を解く前に雑談っぽく「◯くんだったらどうする?」「こういうことって学校でよくある?」「こういう時ってどう考える?」という問答をいかに活発にファリシリテートできるかに全力を傾け、解答用紙を使った問題解答は極力宿題にさせてもらっています。

小学生の国語の能力を測りたいのなら、今のように物語文を扱った「世間の常識類推テスト」を止めて、説明文を使った文章理解と要約に絞るべきだと思います。

唯一物語文の読解を課す意味があるとしたら生徒の個性を知るための試験、面接試験のかわりに行うべきだと思います。1点刻みで点数をつけるものではありません。試験会場で読書感想文を書いてもらうので十分だと思います。自分が学校の校長先生ならそれは是非読みたいです。選抜としてではなく、どんな生徒が入ってくるのかを知るために。

そして念のため付け加えると、小学生は物語文を読むべきではないと言っているのではなく、その読解内容・解答を点数化すべきものではないと言っています。物語・小説は小学生のうちから大いに読むべきだと思います。物語は擬似的に複数の人生体験を生徒に与えてくれます。小学生の時の読書体験(とくに小説・物語)は必ずその後の人生に影響を与えます。

「でも点数化しなくては国語力を測れないではないか?」という声もあるでしょうが、だからこそ、読解文で国語力などというものを扱うことを辞めるべきです。

というわけで、世間の中学校の皆さん、読解問題を入試に使うのいい加減辞めませんか?

内容の近い昔のブログ
http://www.lojim.jp/nomura/post/469 「受験にでるからしょうがないなんて理由はもうやめたいころです」

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