自由を不自由に感じるということ

野村です。
寒くなりましたね。ほんとに応えます。。。。
さて、先日もブログに書いたのですが、
やはり最近気になるのが、生徒の「自由を不自由と感じる性質」です。
「先生、シャープペンつかっていいですか?」は、まあ学校やご家庭で禁止されているのかなと想像できますが、なにかにつけて、「先生、消してなおしていいの?」「先生、余白つかっていいの?」
「例えは自分の身の回りのことでいいの?」「はみだしていいの?」「自分の言葉で説明していいの?」云々、

正直、それを自分で判断しなかったら何を判断するの?というような質問も多く驚くことが多いです。
(もちろんそんなことない生徒も多数います)

『5つのラーメン屋さんのメニューの数を調べた結果を表すグラフの縦軸、横軸を書きなさい。』
(ロジカルシンキング低学年、中学年で使用した問題です)
という問題でも、
ラーメン屋さんの名前を自分で想定していいかどうかに戸惑い、手がとまってしまう生徒が散見されました。

自由度の高い指定があればあるほど、不自由に感じてしまう。
創造的な作業を担い、これから先、学問や社会で活躍すべき小学生の多くが、こういった状況にいるのは、やはり歓迎できない状況です。
ロジムももっともっと授業を工夫しますが、ご家庭(や学校でも)自由に作業する時間をもっと多く、そして大事にしてみてほしいと思います。

自由環境の中で活躍するには、自由に慣れていなくてはいけないのかな、
そんなことを考えました。