お久しぶりに三国志談話です。
ちなみに今回紹介する武将は広田が一番好きな武将でございます。
今回の人物は「孫策 伯符(そんさく はくふ)」です。
呉の[孫家3代]と言われてる2番目の人です。
父:孫堅(そんけん、字は文台:ぶんだい)の意思を継ぎ挙兵し、破竹の勢いで進軍して江東地方に領土を広げていった人で「江東の小覇王」と呼ばれていました。
正史の記述にも孫策のことが載っていて、秀でた容姿をそなえ、談笑を好み、性格は闊達で他人の意見を良く聞き入れ、適材適所に人を用いたので士人も民衆も孫策に会ったことのある者はみな、誠心誠意、命を賭けて従った。とあるほど優れていた人物なのです。
簡単に言えば、イケメンで話が面白くて友達も多く、思考が鋭い上に腕っ節も強いという感じ…まさに完璧超人ですね。羨ましい限りです。
そして孫策は正史では珍しく敵将と一騎打ちを行ってます。
確か、一騎打ちをした武将という記述自体は2~3件ほどだったはずです。
それぐらい珍しいことを一軍を率いる大将がしているのです。
大将なんですから、そこで負けたら自軍が全滅です。
普通は「ありえない」ですね(笑)
しかし勝って、敵将を配下に入れたりと、やることなすこと大きい人物だというのが個人的な見解です。
そして、なんといっても戦が上手い人でした。
挙兵した時点で軍は1000人たらず。それにも関わらず連戦連勝で負け知らずで兵士を増やし続けて江東(今の中国の南辺りです)を制覇していったほどです。
その背景では優秀な部下の存在も欠かせないのですが、有名どころだと「黄蓋(こうがい)、程普(ていふ)、韓当(かんとう)」といった父:孫堅時代からの宿将に、孫策の幼馴染で義兄弟でもある「周喩(しゅうゆ)」という人物がいます。
周喩は幼い頃から孫策と知り合いで、孫策が挙兵する際に同行し主に軍師として活躍した人(前線で戦ってもいます)で、後の呉を支えた人物でもあります。
この周喩もイケメンだったそうで、頭も凄く良くて、武芸も音楽も達者と孫策に負けず劣らずの完璧超人です。
孫策と周瑜の仲は良いというより、すでに兄弟のようなもので『二人の友情の堅さは金属をも絶ち切るばかり』だったとあって「断金の交」という言葉の元にもなるほどです。
ちなみに二人のお嫁さんは「大喬(だいきょう)」「小喬(しょうきょう)」という(この二人も江東地方だけでなく、曹操も欲しがったほど全国区で有名な美女だった)姉妹なんですが、この二人はどんだけ仲良しさんなんでしょうか、とツッコミをいれてみたくもなるほどですね。
孫策のカリスマ性と短期間の活躍ぶりに心ときめく方も少なくないのでは?と思います。
しかし、孫策の破竹の勢いも200年でストップしてしまいました。
父:孫堅同様に暗殺された、または術師に呪い殺されたとも残っています。
呉は頭首や中心人物の早すぎる死の連続が、三国統一を果たせなかった最大の要因だと個人的には思っています。
あのとき、孫策が死んでいなかったら…
そう思うと、違う歴史になっていたんだろうと何度も考えさせられました。