表現の量とリズム

こんにちは。竹村です。

先週は作文についての話だったのですが、今週も作文についての話を。
けっして、けっしてネタ切れ気味なわけではないのです…

さて、読書の量が少なかったり、作文を書くことになれていなかったりする生徒は、
たいてい表現がひどくシンプルになってしまいます。
「○○君は××と言いました。そして…」と言った具合です。
そういう生徒には、「もっと表現の量を増やして、表現を工夫してみようか。」
とアドバイスします。

例えば、

「シンデレラは悲しくなって、『わたしも舞踏会に行けたらな』とつぶやきました。」

「暗いおうちの中一人きりで座っていると、シンデレラは悲しくなってきました。
今頃おかあさまやおねえさまたちは、キラキラ輝く王宮でシルクのドレスを
はためかせながら踊っているのでしょうか。
『わたしも舞踏会に行けたらな』とつぶやくと、ほうとため息がもれました。」

今即興で作ったものなのでとても恥ずかしいのですが、
上記の二つを比べてみるとやはり下の表現の量が多いものの方が
良い作文に見えるのではないでしょうか。
単純にイメージするのが容易になりますし、
主人公の心理も見えやすくなってくると思います。

こういった例をあげながら、表現の量を増やしてもらいます。

ただ、表現の量が多ければ多いほどいいというわけでもありません。
なぜなら表現の量が増えると、その分スピード感がなくなり
くどくなってしまうことがあるからです。

例えば、

「ボチはとっさに左にとんだ。自転車の後輪がしっぽをかすめた。
気がつくと、くわえていたはずの骨がなかった。」

「危険を感じ取ったポチは、とっさにはずむボールのようなスピードで左にむかってとんだ。
どうにか空中で体制を立て直し、夏の太陽を受けて光るアスファルトの歩道の上に着地する。
びゅうという音とともに、ボチからみると怪物のような巨大さの自転車が
さっきまで彼のいた場所を通りすぎていく。
その後輪がしっぽをかすめたのを感じ、ポチはまたビクッと体をすくませた。
嵐のような一瞬がさり、ふと気がついてみると、
大切に大切に運んでいたはずの彼の骨があごにくわえられていなかった。」

どうでしょう。下のものの方が表現は多いのですが、
どうもくどく遅すぎる感じがすると思います。
犬がとっさにとぶ様子を表すのにわざわざボールを持ち出してくる
必要なんてありませんし、歩道の素材と色なんて全くもって関係ありません。
そこをイメージしやすくするメリットよりも、せっかくスピード感が
あるシーンからスピードを奪ってしまうデメリットの方が大きいと思います。
こういう風に表現が無意味に多くなってしまうのが、
表現の工夫を覚えたばかりの子が陥りがちな症状です。

こういった表現の量やリズム感に関するセンスのようなものは、
なかなか週一回の教室内では鍛えることができません。少なくとも最初の半年くらいは、
出来る子は何となく出来て、出来ない子は何となく出来ないものです。
そして出来る子というのはやっぱり本を読むことが好きで、良い表現に沢山触れています。

ということで、やや強引ですが結論はやっぱり読書をしましょう!ということでした。
今週が終われば冬休み、年末年始のイベントに冬期講習などなど
忙しいとは思いますが、せっかくなので新たな一冊にチャレンジしてみてはいかがでしょう。