こんにちは。竹村です。
唐突ですが、子供達を教える仕事を始めて以来、
よく言われるステレオタイプな子どもの
イメージにどうも違和感を覚えるようになりました。
例えば、
「子どもは頭が柔らかい。だから発想力がある」。
これはうそだと思います。
実感的には、ほとんどの子どもは大人に比べてずっと発想力がありません。
発想のもとになる知識の量が少ないし、発想するための知識の組み合わせ方を
ほとんど習得していないからです。
大人であれば「ってことはこういうことも考えられるな。
まてよ、でもこういうケースもあるし…」と考えを進められるようなことを
聞いても、全く思考が始まらない。
周辺知識がなくて頭のネットワークをたどることができないのです。
「○○について自由に発想してごらん!」というような課題を大人と子ども
にだしたら、99パーセント大人のほうが多彩で豊かなアイディアを
出せると思います。
確かに「大人だったらでない発想」を出してくることは良くありますが、
大抵の場合は知識と想像力がないためです。「遠くにものを運ぶときにどんな
乗り物が使える?」「一輪車!!」のようなもので「現実性があるか」
と考えるとすぐ破綻します。現実性があってかつ斬新なアイディアを
出せるのは、子どもだからではなく、その子個人のすばらしい長所です。
また、
「子どもは感情的だ。だから論理的に考えることができない。」
これもうそだと思います。
確かに子どもは感情的ですが、時におどろくほど論理的です。
周辺知識がない以上、多くのものに対して自分の持っているわずかな
知識や原則を組み合わせて立ち向かわなければ
なりません。
でてきた答えがあまりにとっぴでも、過程を聞いてみるときれいに筋が
通っている、ということは少なくありません。
上記の「一輪車!」だって、
少なくとも論理的に間違いはありません。
その場合、むしろ正しい説明のほうが
「その考え方は正しいんだけど、この場合は別にこういった
要素が絡んできて…」といった歯切れの悪いものに聞こえてしまいます。
「当たり前だ。」「話にならない。」と繰り返す大人のほうがよっぽど
非論理的です。
もうひとつ、
「子どもは感受性が強い。」
これもうそだと思います。
子ども達にある課題文を読ませて、「どう感じた?どう思った?」と
聞いてみる。
一番多い答えは「別に。」「特に何も。」です。
経験の量が少ないので、響くものがないのです。
逆に年配の方の方が、ちょっとした本や映画で涙が止まらなくなったり、
問題意識をあらわにしたりします。
しかし
「子どもは可能性のかたまりだ。」
これは本当だと思います。
塾講師になる以前は、半分教育者の詭弁なり自己陶酔のようなものだろうと
たかをくくっていました。
しかし、実際に輝きを感じなかった子どもが、気がつくと打てば響く子に
なっていることがあります。利発でも目の前のことに取り組むことができなくて、
きっとのびないのだろうな、と残念に思っていた子が、徐々に、あるいは急に
生き生きと課題に取り組み始めることがあります。
(もちろん、その逆だってありますが)
子どもの時間は大人よりずっと速く濃密に流れます。
子どもの持っている可能性を可能性で終わらせず、
確固たる現実まで導く手伝いができれば、
これほど先生冥利につきることはないと思います。