読解からさらに一歩先へ

こんにちは。竹村です。
国語の授業をしていてときどき驚かされるのですが、
授業中に扱う文章に対してきちんと自分の意見を持つことのできる生徒
がいることがあります。たとえば、ひとつの文章を読んだ時に「この文章の書き方は
どうもフェアじゃない気がする」とか「こういった解決策もあると思う」と
いった感想をもらす生徒です。こういう言葉を聞くと、ついうれしくなってしまいます。

国語の授業で教える内容は、どうしても読解、つまり読み取る技術が
メインになります。たとえば意見文であれば、
作者はいったいどのような意見を主張しているのか。
どういった事例をその根拠としてあげているのか。論理のつながりはどうなっているのか。
といったことなどです。

しかし、読み取った結果その意見に対してどのように考えるか、
といったことについては授業では余り扱いません。

前に一度似たような話題で書いたのですが、試験という形で評価する以上公平性が重視されます。
作者の意図をどれだけ正確に読み取れているか、
ということに関しては一定の正確さで優劣をつけることが可能ですが、
それに対してどのような意見を持っているか、ということに関して
優劣をつけることは非常に困難、というか不可能です。

しかし、たとえ優劣をつけることができないからといって読解から先の考察が
重要でないわけではありません。周りから得られる情報や知識のストックは
あくまでも自分の考えをまとめるためのベースであって、本来はそこから
先の考察が重要なはずです。

基本的に読解力があがり自分の中に使える知識のストックが増えれば増えるほど、
鋭く深い考察はできるようになっていくものなのですが、
それでも「この文章を読んでどう思った?」と聞いてクラスの全員が全員「良いと思う。
その通りだと思う。」と答えるような状況に出くわすと少し不安になってしまいます。

「読み取りは読み取り、自分の意見は自分の意見」と思えるレベルまで達してくれるとうれしいです。

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