食事の準備中に

 こんばんは。きょうもいつもどおりぎりぎりの投稿です。みなさんもう新学年にはなれましたか。

 さて今日は「食事の準備中に」などと題うってみましたが、何のことはなく、その横でお子様に音読などさせてみるのはいかがでしょう?というお話です。

 最近私のクラスではところかまわず、音読の宿題を課していますが(さすがに6年生は時間のなさも気になって積極的にだせませんが)ご家庭ではお子様が音読しているのをきいたことがあるでしょうか。
 「ない」と即答されるようであれば、お子様は人知れずやっているという一縷の望みにかけるのもよし、夕食などの準備中にとなりで読ませるなどして機会を作ってみるのもよし、というところでしょうか。

 私が音読を奨める理由は4つ。

 ①生徒のあるお子様が本当にそれで読めるようになった、という実感のこもった言葉をきいたから。
 ②私自身が目や手を動かすより、しゃべって耳から得た情報のほうが記憶にのこっているから。
 ③ことばのニュアンス=その言葉の持つ情感であり、それを司る機能を持っているのは目ではなく  
  耳であるから。(目は認識を司るのみで感情は耳からのほうが伝わりやすい)
 ④実際教えていても、そのときの語気の強さや使っている言葉の音(エ段は鋭くとがった感じとか、
  サ行は何となくしんみり・冷たい感じ)というのが解答を導く際のひとつの材料になる場合が意外
  に多いから。

 です。やはり言葉というものは音に出さないと、そのニュアンスや言い回し(「つまり」で始まる文の文末には「~のだ」がくることが多いなど)に気づかないでとおりすぎてしまう場合が多いように感じられます。
 また言葉というものは相手に物事を伝えるためにあるのですから、それはやはり「書く」よりも「話す」に重点がある、というよりも「書く」行為そのものがそれを読んでくださる相手を見据えた対話ですよね。
これを書いている今だって、頭の中で相手を想定しつつ、いろんな言い方でその伝わり具合を試行錯誤しながら書いています。

 頭の中にあるものはもちろん、文字ではなく音です。とすると、もしお子様がそういうことをしないで読んだり、書いたりしていたら…ちょっとぞっとしました。

 というわけで6年生にも音読の宿題を出すことに今、決めました。「えー、僕は私は間に合っているよ、これ以上どこをひねっても時間なんて余っていないよ」という人は気軽に申し出てください。
                                                        む

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