最近殊に、と言うわけでもないのですが人と話していると時々「発想力」という
言葉を耳にします。定義はあいまいなのですが、どうも(多少意外性があってかつ興味深い、あるいは
説得力のある)アイディアを出す力、という意味のようです。
使われている文脈から判断するに、おそらくアレルギーや身長等といっしょでかなり
先天的な才能と捉えられているようです。
しかし、実感的には少なくとも小学生のレベルにおいてはこれはむしろかなり後天的に身についてくる要素
な気がします。具体的に言ってしまうと小学生レベルでの「発想力」はほぼ確実に「知識量」あるいは
「語彙の豊富さ」に比例していると思います。
例えば、「卵を産まない動物ってどんなのが思いつく?」と聞いて「クジラ!」と答えられる子どもは、
何も先天的に思いつく力が優れているわけではなくて、
もともと「卵を産まない動物→哺乳類」「クジラは哺乳類である」という知識を持っているわけです。
「発想」といわれるものの99%まではおそらく「連想」です。「知識」というのは思いをめぐらせる
ための回路ですので、知識が多ければ多いほど連想でたどっていけるルートが多くなります。
「○○って聞いて何を思いつく?」と聞かれて「何も思いつかない。。。。。。」と止まってしまう子は
そこから連想していくルートがない、あるいは持っていても記憶のかなたにあってとっさに出てくるほどには身近
でない、というだけだと思います。
あともうひとつ、いわゆる発想力を左右する要素があるとしたら、それは「ずうずうしさ」「思慮の浅さ」かもしれません。
何かを思いついたときに「でもこれは妥当な答えではないかもしれない」と考えないこと。
作文を教えていて何もアイディアが出てこない、という子に
「○○なことって全然、一個も思いつかないの?」と聞いてみると「△△って考えたんだけどかくかくしかじかで
だめそうだし、□□はうんたらかんたらで上手くいきそうにないし」、と頭の中でいちいち考えにだめだしをしてしまっていることが良くあります。
そういう時は「だめかどうかは後で考えればいいから、とりあえず思いついたら書いちゃいな」とアドバイスします。
アイディアを出すときは、余計なことは考えずにひたすら無責任に出してしまうことがコツなのですが、
そういったものは技術と態度の問題なのでちょっと訓練すれば身につきます。
世の中にはどうしても先天的な要素、いわゆる「才能」によって左右されてしまうこともあると思います。
しかし、遺伝子によって左右されるとはっきり証明されてもいないことを、自分から「才能」という言葉
であきらめてしまうのはとても非合理だしもったいないことだと思います。