私は、都内の大学の半付属の中高一貫高に進学しました。学年担当の先生達が6年間持ち上がりという制度だったので、中高6年間ほとんど同じ先生達から指導を受けました。というわけでまとめて中高編です。
「どうやって算数・数学が得意になったのか?」という質問から始まったお話ですが、私はこの学校で数学だけでなく勉強、さらには字を読むことまで嫌いになりました。坊主憎けれりゃ袈裟までというやつですね。おかげさまで、私はいまだに視力が左右とも2.0です。目の健康を気遣ってくれた、私の中高時代の授業を振り返ってみます。
入学後、私はとんでもないところに来たとショックを受けたことを覚えています。それはみんなが「勉強=すべきもの」「宿題=やるべきもの」「順位=あげるもの」という考えを当たり前のように持ち合わせていたことです。そして、先生もまた同様でした。まあ、一応「進学校」を標榜している学校でしたから、当たり前なのですが、志望動機が「坊主ではない(地元の公立が坊主強制だったので)」「受かりそう」「近い」だった私は全く馴染めませんでした。
「勉強=すべきもの」という前提が成り立っているので、先生達に授業を面白くしようという意識は全くありません。ただでさえ、身近に感じにくく無味乾燥になりがちな中学、高校の数学カリキュラムをひたすら朗読される毎日です。義務を履行する生徒達とそれを監視する先生達。中途半端な自称進学校によくある風景ですね。
当然、落ちこぼれました。300人いましたが下から20番以内を常に確保。高校生になると下から10番以内を確保し続けます。全盛期の高2では下から3番。私より下の2人は学校からいなくなりました。10段階の平均で3ぐらい。通信簿は真っ赤でした。数学は1です。
当時、数学担当の先生と交わした会話です。
「おまえ、やる気ないだろ?」「ないわけじゃないんですが先生の声を聞くと眠くなるんですよ。」「おれも眠いけどがんばってるんだから、おまえもがんばれよ。」
私の数学の先生は、数学の楽しさを教えてくれるのではなくて、数学を通して我慢することを教えてくれていたんですね。ありがた迷惑な話です。
こんな具合ですから、居心地が良いわけがありません。宿題をやらない私にご丁寧に説教までしてくれる同級生まで出る始末でしたので、中3で親に「退学してバスケの強いK高校に行きたい」と申し出ます。バスケットが好きで、これだけは一生懸命にやっていましたので。しかし、私の親は「あんたにいくらかかったと思ってるの!」と保護者が受験生に言ってはいけないNGワードを次々と並べて罵倒して私の心を折ってくれました。
完全な無気力少年となり、成績的にも学校のお荷物状態となった私は、高3の夏に部活を引退した後は、不登校になりました。家を出た後、九段下で途中下車をし、神保町の古本屋街で立ち読みする毎日です。しかしここで、私の人生を変える出会いがありました。靖国通り沿いの古本屋をほぼ制覇した私は、白山通りの古本屋に進出します。その先に、当時も今も無名な小さな塾がありました。立ち読みに飽きてふらふら歩いていると、その塾の前で小学校の塾の同級生に出会いました。立ち話をしていると、その同級生の塾の担任の先生であり、後に私の担任にもなるN先生が通りがかりました。同級生がわたしのことを紹介すると「大学は推薦で行くのか?」と聞いてきました。「いえ、受験です。」「塾は?」「いってません。」「じゃあ、うちに来いよ。」推薦を蹴って国立を受験する優秀な生徒と思ってしまったらしいのですが、とにかく私の通う塾が偶然に決まりました。
塾のクラスではなんと男子は私一人のみ。クラスメイトは、桜蔭と女子学院と雙葉のみ。渡された教科書で理解できるのは数字のみ。申し込みを後悔しつつ、初回の授業に出席しました。やはり全くわからなかったのですが、授業中に先生が話してくれて、今なお覚えている話があります。
「先週勉強していて気づいたことがある。それは・・・・・。これが証明できればおれも有名人だから、しばらくがんばるよ。」
・・・・の説明は理解不能でしたが、おじさんである先生がいまだに勉強していて、証明して有名になるためにしばらくがんばっている。30過ぎのおじさんも、そしてクラスメイトのみんなも面白がっている。その姿を傍目から見ているだけで、その・・・・がなにかとても魅力的なものに思えてきたのです。
すでに捨ててしまっていた教科書を三省堂で買い求める所から私の数学の勉強は再スタートしました。「楽しいものを勉強している」という意識がわからないなりにもあり、マンガを読むように集中しました。自分が楽しんでいる人は、初心者を喜んで受け入れてくれるもので、先生もクラスメイトも競ってわかりやすく、楽しそうにねばり強く説明してくれました。
1教科楽しくなり、得意になるとその手法は応用がきくものですし、「勉強には楽しいものがある。」という意識も芽生えていたので食わず嫌いせず幅広く手をだし、受験に必要な科目をそろえることができたのです。
その後、教える立場になりこの先生と机を並べたことがありました。常々おっしゃっていたのは、「生徒は教師があこがれるものにあこがれる。教師が楽しそうに物事を追いかけていれば、生徒達は後について必死に追いかけてくるものだ。」ということです。
(この話のまとめ)
私は、全く数学を楽しんでいない教師と人並み以上に数学を楽しんでいる教師の両方に教わる機会があり、後者の効能についてとても実感を持つことになりました。
もちろん、中・高生に、「理不尽な社会と会社の規範に従う忍耐力」の土台をつくることは必要だと思いますが、貴重な数学の授業(だけでなく英語、国語、社会、理科)を使う必要はないと思います。私が、数学について現在のレベルにまで至ることができ、そして、数学について人と比べて得意、不得意だということを気にすることなく、現在でも数学について学びたい、知らないことを知りたいと思う気持ちを持ち続けているのは、数学が学ぶに値する楽しいものであるという思いを強く抱くことができたからです。
人が物事を得意になるきっかけには様々なものがあると思います。必要に迫られたからということもあるでしょう。しかし、今回のテーマである算数、数学についていえば、小学生、中・高生が「必要に迫られる」ことはほとんどありません。高いレベルに到達するには、無味乾燥な基本トレーニングも数多く必要です。教える側として意識しなければならないのは、「教える側が楽しんでいないものは、教わる側も楽しめない。」ということです。数学が楽しいものであるという思いを持たせることが大切です。そのためには、教える側が楽しむ姿勢を見せる、(本当に楽しめれば尚よし)ことが最も大切です。もし、大人がしつけの一環として「やるべきこと」として権力をつかってやらせるならば、それは好きになり、得意になることと引き替えであることを覚悟しなければなりません。
「やるべきこと」を決めてもらって、それを遂行することが心地よい人もいるかもしれません。しかし、それではいつまでたっても誰かの追随者にしかなれないでしょう。少なくとも私はそのような安易な追随者と一緒に、自分の好きな算数や数学について話をしたいとは思いません。
どうしたら算数・数学を好きになってもらえるのか?まずは、ご自身で算数・数学の楽しみを見つけ、子供そっちのけで、そして子供の見えるところで楽しんでみてください。親が好きなものに子供は大きく影響されますから。