国語を点数化することはやはり嫌いです

昨日扱った国語の文章を紹介しますと、
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貧困について。
まず、貧困は自己責任だという考え方を紹介、
そして次に、とはいえ、貧困というのは「社会の仕組み」に問題があるという考えを紹介、
最後に「物事は注目の仕方によって問題点と解決策が変わる」と締めくくっています。
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で、

小学生に投げかけられる問題として、いつもどおりあるのが「筆者の言いたいことは?」というもの。

これが曲者で、科学を扱う説明文、事実の紹介に関する説明文以外の「受験国語」を野村が嫌いな理由です。教科書販売会社の模範解答は、最後の段落の要旨をとった「いろんな見方があるよね」というもの。

でもこの文章、よくよく読むと、というより大人が読むと、筆者は「貧困は自己責任でなく社会の構造のせい」という主張に寄っていることがわります。最後の段落は筆者がテクニカルにバランスをとるために付記しているのがわかります。強い一本槍の主張は読み手が食傷を起こすことがあります。

何が言いたいかって言うと、「筆者の主張は『貧困は社会のせいだ』というもの」という旨解答した生徒が不正解(もしくは減点)されるという試験はやはりどこかおかしいと思いました。この文章の行間を見事に読み取り、最後のまとめの段落は筆者のテクニカルな手法であり、筆者が本当に言いたいことは、「いろいろな見方あるよね」でないと判断した生徒の国語力を正当に評価するのはやはり試験では難しいのかなと思います。

(まあ実際の入試でどうやって採点されるてるのかは謎なんですが・・・)

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