【モデルロケット世界大会レポート】都立小石川が日本代表として挑戦!その結果と学びとは?

ロジムに7歳のころから通っていた橋本 龍之介くん。

彼が率いる都立小石川モデルロケット班が、ロケット甲子園で優勝。
6月19日、20日にフランス・パリで開催された世界大会に、日本代表として出場しました。

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日本時間の6月19日(木)・20日(金)、フランス・パリで「モデルロケット国際大会」(通称IRC)が開催されました。泣いても笑ってもこれが最後。たくさんの人の思いを背負って挑んだ彼らの結果は、果たして…。

例年は1日目にプレゼン、2日目に打ち上げが行われますが、今回はフランス大統領マクロン氏のエアショー来場により日程が急遽変更。初日に打ち上げとプレゼンの両方を行うことになりました。

そして迎えた6月19日(木)の打ち上げ当日。思いがけないトラブルが発生します。

今大会から、エンジンの装填作業が主催者側によって行われる形式に変更。例年は自チームで担当していたため、わずかな異変にも気づくことができましたが、今回はそれが叶わず、異変に気づかぬまま本番を迎えることとなりました。

打ち上げが始まると、機体はまっすぐに飛ばず、斜めに逸れてしまいます。さらに、エンジンの燃焼時間は予定されていた約5秒の半分ほどで終了。

これまでに大会仕様のエンジンで25回以上の打ち上げをしてきた都立小石川ロケット班。誤差前後0.5秒まで織り込んで設計してきただけに、想定外の不調に大きな衝撃を受けました。

自信をもって臨んだ打ち上げだっただけに、「ハズレ個体引いたわ」「やばくね?」「終わってる」と会場で漏れる声。何より大きかったのは「なんで?」という疑問。「悔しい」という感情よりも全員が「どうしてあんな結果になってしまったんだろう」という戸惑いを隠せませんでした。

協力してくださっていたロケット研究会や航空学の教授でさえ「見たことがない」と語る異常な挙動。原因としては個体差や装填方法、あるいは国内と異なる発射台の仕様などが考えられますが、明確な原因は今も不明です。

ライバルチームが順調に打ち上げを終え、「最下位は確実かも…」と諦めムードが漂う中、橋本くんは「この後のプレゼンでベストを尽くせば、2位に巻き返せる!」と、気持ちを切り替えました。

今回のモデルロケット国際大会では、打ち上げとプレゼンの順位がそれぞれ得点に換算され、総合順位が決まります。仮に打ち上げで最下位だったとしても、プレゼンで1位を取れば総合2位を狙うことができました。

思い通りにいかなかった打ち上げに、落ち込み気味だったメンバーたちも「プレゼンで1位を取れば、総合2位に巻き返せる!」と奮起。ここで諦めないのが、都立小石川モデルロケット班。これまでも幾度となく仲間と共に壁を乗り越えてきた経験が、チームを再び前へと動かしました。現地・パリでも採点基準と照らし合わせながら直前までプレゼンの調整を重ね、高得点を目指して準備を続けました。

プレゼンテーションの構成は、機体に関する説明が10分、質疑応答が10分の合計20分。橋本くんは「とても緊張していたので、今でもよく覚えている」と振り返ります。

今回のプレゼンでは、「チームメンバーがどれだけ積極的にプレゼンに関わっているか」も評価対象。多くのチームが3〜4人で発表する中、都立小石川モデルロケット班は10人全員が発表を行いました。一人ひとりに役割を持たせ、限られた時間の中で全員が発表に関われるように工夫しました。

英語でのプレゼンはもちろん、日本語でのディベートや発表の経験も少ないメンバーたち。しかしそれぞれが自分の持ち場でベストを尽くします。思うようにいかなかった打ち上げに関する厳しい質問も飛び出しました。「もし打ち上げをやり直せるなら、どこを修正したい?」といった鋭い問いかけも審査員から投げかけられました。審査員を務めたのはアメリカ、イギリス、フランスのモデルロケット協会の役員たち。おそらく自分たち以上にロケットに精通した人々であり、曖昧な回答では通用しません。慣れない英語ながらも、伝えたいことを的確に伝えるため、表現に細心の注意を払いながら対応しました。

通訳の使用も可能でしたが、「印象が悪くなる可能性」や「時間が半減するリスク」などを考慮し、自力で英語対応することを決断。

橋本くんは「原稿をしっかり覚えて、大きなミスなく発表できた。質疑応答では聞き返されることもあったが、丁寧に、正確に自分たちの考えを伝えようとした」と話します。

そして「100点満点をつけてもいいくらいの出来だったけど、1位が取れなかったから90点。やっぱり1位を取りたかった。悔しい」と語り、最後まで真摯に自分たちと向き合っていたことが伝わってきました。

 これまでもたくさんの逆境に打ち勝ってきた都立小石川モデルロケット班。天候不良で打ち上げが中止になったことやエンジンが届かなかったこと、部品の破損や集大成の打ち上げでも思うように行かなかったりと幾度となく逆境を乗り越えてきました。

 どんなことがあっても立ち止まらずにすぐに立ち直る。そんな彼らの熱意も虚しく、打ち上げが4位、プレゼンが2位で総合順位は4位に。

 当時を振り返って橋本くんは「やっぱり悔しい。あれだけ準備してきたにも関わらず実力を発揮し切ることができなかった。」と悔しさを口にします。

 大会終了後には他チームとの交流の機会もあり、そこで多くの気づきや発見があったそうです。中でも、打ち上げ・プレゼンテーションともに1位を獲得し総合優勝を果たしたアメリカチームの機体には大きな衝撃を受けました。都立小石川モデルロケット班では、いくつかの部品を組み合わせて機体の下部を構成していましたが、アメリカチームはその部分をまるごと3Dプリンターで出力し、市販のモデルロケットのペーパークラフトキットと組み合わせて使用していたのです。これにより、全く同じ機体を量産することができ、高い再現性が得られるという利点がありました。都立小石川モデルロケット班でも同様の案は検討していたものの、アメリカで市販されているとはいえ、キットの入手難易度が高いことや予算の関係から実現には至っていませんでした。

さらに、素材や普段の試射についての意見交換をする中で、都立小石川モデルロケット班と共通する部分も見つかりました。特にパラシュートに関しては、アメリカチームも複数サイズのものを用意し、直前まで使用する規格を熟考していたとのことです。橋本くんは「自分たちがやってきたことはやっぱり間違っていなかったんだと気づくことができた。今回の大会に挑むにあたって学んだことを今後にも活かしていきたい。」と語っていました。

「今後どうするかは決めていない。国内には今まで挑戦してきたモデルロケットの他にも小型のモデルロケットの大会もあり、今後どちらに挑戦するかはチームメイトと相談して決定する。」としたうえで、

「個人的には今回と同じようにもう1度モデルロケットの大会に挑戦したい。やっぱり本来の力で勝負したかった。実力を最大限に発揮できていれば通用しないような結果ではなかった。だからこそもう1回挑戦したい。」と、どうしても悔しさが拭いきれない心情を言葉にするとともに、次に向けての決意を露わにしました。

「今回世界大会に挑戦したことで自分たちに足りなかったこと、そして今までやってきた中で正しかったことを理解することができた。これらを一つ一つ丁寧に見つめなおし、修正していきたい。」と今後への前向きな姿勢も見せてくれました。

 幾度も試行錯誤を重ね、仲間と共に壁を乗り越えてきた都立小石川モデルロケット班。悔しさの残る結果ではありましたが、それでも確かに、彼らはこの挑戦を通じて「自分たちの正しさ」や「世界との差」を肌で感じ、前に進むための手掛かりを得ることができました。

打ち上げも、プレゼンも、準備のすべてに妥協なく取り組んできたからこその悔しさ。そしてそれを糧に、次を見据える彼らの姿勢に胸を打たれました。

世界に挑み、そしてまた次の一歩を踏み出そうとしている都立小石川モデルロケット班。その歩みは、結果だけでは測れない価値と意味に満ちており、世界の舞台で得た経験は、これからの糧として必ず彼らの中に息づいていくはずです。

 世界大会は終わってしまいましたが、モデルロケット班の挑戦はこれからも続いていきます。私たちはこれからも、そんな彼らの歩みに、変わらぬエールを送り続けます。